サトルゥノ

  • 2008/10/18(土) 18:46:15

ここまで漫画描いてきて、一つ悟った事があります。

ぼくらはストリートパフォーマーの方と同じです。

どんな芸を持っていようがそれに足を止めて見てくれる人がいなければ意味無し!

街路樹とかと同じです。

単なる風景です。中には植物に感心や癒しを求めて寄ってくる人もあるでしょう。しかし誰も街路樹を金を出して買い取ったりはしないでしょう。

そういうことなんです漫画で金稼ぐってのは。

それこそなんの芸もない僕がこんな事を書いていては鼻で笑われるでしょう。

「バーカ!氏ね!」といわれるでしょう。

それでも。

あえて。


なんでもいいから、まず一人だけでもいいから、お客さんが足を止めてくれるナニかをする。「漫画」であればこれは新しいネタ・アイデアであり、あるいはだれも見たことの無いすごいすごい絵なのかも知れません。

・・・やがて立ち止まったそのお客さんを見てオレも私もと人が寄ってくる。

この間一瞬でも気をゆるめちゃいけません。一瞬でもオモシロクナイと思われたらお客さんはいなくなる・・・「読み飛ばされ」てしまいます。となりでやってる他の面白そうなナニカに行ってしまいます。

そして一回去ったお客さんを連れ戻し自分の価値を再確認させるのは大変です。

常に常にお客さんを飽きさせない、次は何が出るのかなと期待させ続けなければいけません。そして同時にお客様の予想をいい意味で裏切り続けなきゃいけません。「ほらみろ、やっぱりな」が二回続くとあくびされます。

しかし予想を裏切り続けるにも上手な裏切り方をしないといけません。いきなりなんの脈絡も無く下半身を露出するとか、世界を滅ぼすとか、エキセントリックな裏切りは作品全体をガタガタにし、自滅ロードまっしぐらになりかねません。

実は、「上手に読者を裏切れるか」ここに作者の力量が現れるのでないかと
ぼくは思うのです。インパクトだけの一発芸など言うに及ばず、おもしろみのない含みの連発、や無粋な裏切り方しかできない作家は正直ダメだと思います。


 話は逸れますが、上手な絵が描ける方はこの辺で幾分有利かもしれません。上手な絵というのは言ってみれば「美男美女」、アイドルのようなものですから、とりあえず突っ立っているだけでも人は寄ってきます。しかし、客足を止めておくにはやはり相手を飽きさせないようなにかをしないといけませんが。

・・・この辺で、脱ぐだけしか武器のない美女(あるいは美男)と歌や演技もできる美男女の差が出ます。美女が脱ぐのは効果絶大ですが、うまくジラサないとオトコゴコロは意外と冷めます。一回見てポイされちゃうかもしれません。グラビアアイドルと大物タレントの差といったとこでしょうか

美男が脱ぐのは・・・知りませんが、腐女○の皆さんをみてると、本気で惚れた子以外はやはり見切りをつけてしまうようです。

 こう考えるとやはり人の価値は美醜だけでは計れないと言うところでしょうか。一部の特別な人はおいといて。

 話が逸れすぎました。つまり、お客さんをドキドキさせ続けなくてはとりあえず、どんなパフォーマンスもタレントも、無惨に飽きられてしまうということです。ましてや「金」を払って自分のために演ってくれ!となると凡人パフォーマーにはかなりの負担でしょう。一握りの天才ですら苦戦する世の中のようですから。

 しかしとりあえず、凡人は天才になれなくても賢人にはなれるようです。

賢人になる方法は・・・自分で考えるしかありませんが。

 色々やっても結局お客がつかないモノはとりあえず資本主義経済のなかではクズ呼ばわりさます。

何故だ!これはオレにとっては最高にオモシロイのに!と叫んでもダメです。マニアックな話題やひとりよがりはマニアウケにしかなりません。

自己満足だと飯は食えないのですな。 

中にはそれを売りにしてるものもありますが、パンチラ女子を出すとか、ホモっぽい雰囲気を出すとかして読者の関心が削がれないよう工夫してるんですね。その「工夫」すら熟考の末の至難のワザだったりもします。「萌え」だけでなんとかなると言ってる人は無粋だと思います・・・いつの間にかそこがウリになってしまう例も少なくないようですが。(もしくははじめからそれを売るためのストーリーとか・・・)まあ、少数でもファンがつけば正義か・・・。

 一方資本主義経済のなかではクズ呼ばわりされても、すばらしい作品はたくさんあります。そこだけは勘違いしないよう自分に暗示かけときます。


 とりあえず、見る人をとっつかまえてドキドキさせつづけ、うまく裏切って最期に安心させる。こういうのがいい漫画なのだとおもいます。





 ウソです。




それで喜ぶのはヘンシューシャとよばれるサラリーマソだけです。




それだけだとダメです。それは物語としての最低条件です。

さらに作り手は自分のうみだしたキャラたちにそれぞれの結末まで責任を持たないといけません。その生い立ちや考え方、好みにしゃべり方まで、考えに考えて、彼らと同じ呼吸をし、涙を流して泣き、腹の底から笑い、要求し、狂おしい恋をし、葛藤しなければいけません。

それは愛です。

もしくは自分の存在価値を見いだす事への飽くなき欲求とか。(ここに恥じらいを見いだすひとの奥ゆかしさを僕は美徳だと思いますが、臆面もなく他人をけ落としてでも自分の価値をみとめさせる図太さがなくてはどうやらダメみたいです)


そして人を楽しませる事への終わりない憧れなのです。

それ無くしては物語はただのクズです。

はじめに、ストリートパフォーマンスをする方を例にあげましたが、その方達にとどまらずそれは芸を嗜む者の永遠の命題です。僕らは街角で、あるいはテレビの、電磁波の向こうで汗と涙を垂らし、あるいは涼しい顔の向こうに尊敬に値する努力を微塵も見せず表現しつづけます。

それが恋愛でも、かっこいいメカへの憧れでも、あるいは幻想へのあこがれでも、ちょっとした日常の憧れでも、あるいは逃避でも、醜いかもしれないゆがんだ性欲や暴力であっても(公序良俗を逸脱しない範囲で)、人間がそこに介在していれば、血の通った人間がいればそれでよいのだと思います。

そしてまたぼくらはそこに惹きつけられていくのです。

そこにこそ、人間が創作する事の本質があるのです。

 昨今、血の通ってないかのようなキャラクター達が公序良俗ギリギリの行為を繰り返す作品が多いような気がします。それは長い年月をかけてゆっくりとモラルの膜を溶かし、自分たちの価値観を気づかないうちに塗り替えているかもしれません。

しかし、それを是とするか非とするかの判断は各人の責任に委ねるしかないでしょう。世代間の意識格差を考えるとなにが正しいかオモシロイかはは正直計りかねています。

僕は時に強烈な違和感をおぼえますが。

それでも一方では人を惹きつけて、かつ血の通った人間が活躍する、古くさくない物語は生産されつづけていってるようです。

 今は僕はこんな事いう資格はないでしょう。なぜならだれ一人としてぼくにファンはいないからです。 


いつか立派な表現者になれたらもう一回いいます。いつかたぶん。それでは、またお便りします。 













もやっと

  • 2008/10/17(金) 02:58:41

あたまがモヤモヤする。

でもがんばろう、人として。

先生、厳しくも優しい愛のムチをありがとうございました。

先生は、この疑い深い僕が心から信じられる数少ない方です。本当です。
本当にありがとうございました。お世話になりました。いつも迷惑ばかりかけてしまってすいません。うまく伝える事はできないけど、その暖かい厳しさと思いやりは僕の一生の宝です。

ああ・・。

そしてまた明日が来る。

脳がそうであろうと信じているから明日が来る。

おなか空いたなあ。

「河」のカリーが食べたいなあ。T田さんとギターの話がしたいよ。

「味噌一」の大盛りラーメンとギョーザが食いたいなあ。なあ、また行こうぜT葉くんよう。

「金海」の焼き肉食いたいなあ。

「きらく」の中華ソバが食いたいなあ。

「レストラン141」のジャンボハンバーグにチーズとにんにくトッピングしたやつが食いたいなあ。マスターの石井さんは元気かなあ・・・。落ち込んだときにオゴリにしてくれたミニサラダとコーヒーの美味かったこと。

「我風クリーク」でエズラブルックスを呑みながら、自家製スモークチキンが食べたいなあ。s田さんと社長さんは元気かなあ・・。また行きますね。

I井とまたバイクでツーリングいきてえなあ。ドカティのってなあ。

S山とまた箱根にドライブいきてえなあ。

いがちゃんとこいってまた美味い日本酒と魚を頂きたいなあ。

思い出すのはつらいときにやさしくしてくれたあの人達の顔です。先生の顔も忘れないでしょう。


そういやオレのリッケンバッカー、早く修理終わって帰ってこないかなあ。


「みんなが眠ったりご飯を食べるのを辞めたりしないように、オレは創る事をやめられないでしょう。
生きねば。

遺書

  • 2008/10/16(木) 02:30:51

臆面もなく、今日は好き放題文章を書きます。

僕は孤独です。世界は寒いです。夜明け前のようでもあり、夕暮れのようにも感じられます。

決して明るくはないです。

暖かい言葉は時に厳しい愛のムチとなり、自分のありのままの姿を残酷なまでにまざまざと見せつけてくれます。

ああ、醜いなあ、オレ。

見たくないな、自分の姿。

そう思います。

正直、いきてたくないです。
つらいっす。全部めんどうくさいし、いやいや踏ん張ったところでなにか達成出来るとも思えないし、つうか

僕は死んだほうがマシです。

何一つノゾミはかなわず、多くの人は、何を甘ったれたこと言ってるんだと、オレは、おまえのような事を思っていても立派に耐えてるぞ、と蔑んで頂けることでしょう。

あるいは、眼を背けてくれるでしょう。

誰のせいでもなく、自分のせいです。
やさしい人は言ってくれます。

「胸を張れ」と。

むりっす。

胸張れません。恥ずかしいです。生きていたくないです。昔から、生きているのもがんばるのも面倒くさい。死んだら楽になるだろうな、でも死ぬのはいつでもできるしな、だったらもう少し先延ばししてもいいかなとおもってはや三十余年。

親よりは先に死なない方がいいなとだけ学びました。

生き甲斐とか、この世にイタイ理由なんてありません。

甘ったれるな、とかおまえは弱いとかしかられそうですが、僕は弱い弱い甘ったれなので、別に今更叱られてもなんとも思わないです。

自然の摂理に従って淘汰されるべきでしょうが、そのケジメもつけられずにいるクズです。

あああああああめんどくせえな。色々。

だれもいないゴールで一人酒でも飲んで酔っぱらって意識を無くして、そのまま失せてしまいたいです。

合掌。アーメン。さようなら。ファックユー。

今まで友達のフリをしてくれたみなさんありがとうございました。
この面倒くさいわたくしめに情けをかけてくださりありがとうございました。

この救いようの無い私は、一回思い知った方がいいとあなた方に白い眼で見られながら死ぬ事といたします。ありがとうございました。



先生、そして家族と、数少ない本当の友達でいてくださった方々、ありがとう。心から感謝しています。この救いようのない私は、消えます。すみません。もう耐えられません。さようなら。


カクアリタイ

  • 2008/10/12(日) 01:46:26

この世を支えているモノはなんだろう

人間はかくも業の深いモノで、堕落するのが好きである。

堕落というのは、今自分が持っているもの、取り巻く人々や環境へのありがたみを忘れどんどんと無い物ねだりを始めることである。

ないものねだりを始めて、何かしらその現状を打開すべく創造的な試行錯誤を積極的に行うのであれば、それは堕落ではない

ないものをねだるくせに愚痴ばかり言ってなまけて責任を他人になすりつけ退屈をまぎらわせる事に変に長けている方々の事をダラクした人々と呼べましょう

幸せになりたいけどがんばりたくない人々は多い。

かくいう私もあまり人のことは言えない。

だがそんな人間ばかりでは、世の中本当に悪い方にいくばっかりだ。

一方で、砂金の如く少数だが、悪い方に行かないように食い止めている人たちがいる。彼らは見返りを欲さない。自分をすり減らしながらも感謝と笑顔を忘れない。

「かくありたい」「こういう人間でありたい」

その情熱だけで生きている、光る魂持った人々を、わずかだが僕も知っている。
そんな人間に僕もなりたい。

そんな人々が笑って戦いを終えられる日がが来るよう、心から願う。

そんな人間になるために、とりあえず卑屈さを追い出す所からはじめてみよう

うんこ

  • 2008/10/11(土) 02:30:11

なにもしたくなーい♪
かなりやばーい♪
かなりやばーいはずなのに焦るきもしなーい♪
なにもでなーい♪

オレを殺すなら今だぜYOU!♪
その目でな♪

この文章はー♪
すこしー奥田民生のパクリー♪

ぼくはこの世に生まれ落ちた塵で♪
昔は生きるのもイヤだったけど♪
親より先には死ぬまいと♪
思える程度にゃなりました♪

飯食って恋してウンコしてます♪


どうもこうにも不安なときは♪
血液型の本読みます♪
いよッAB型!

つええぞオレ様ロケットパンチ♪
ぼくがぼくでありますように♪

つかれてつかれてつかれてるけど♪
ハゲって呼ぶなハゲるから♪

ジャイアンは好きだけどスネオはキライ♪

ドラえもんが来てくれないので♪
あやとりでも極めましょうか♪
まだ見ぬあやとりマニアとうまい酒を飲むため♪
今日も僕ははしごをかける♪
ラララ右手でー♪

ほしいものはなんですか
あいたいひとはだれですか
やりなおしたいときはありますか
いきたい場所はありますか
やっぱり目をそむけてますか

友を信じれますか
頑固になりすぎてませんか
卑屈になりすぎてませんか
自分をしんじてますか
本当に明日がきてほしいですか
たまにはドキドキしてますか

積み重ねてますか
それとも
罪重ねてますか

あなたの事を信じてくれるひとはいますか
きちんとおなかは空きますか
夜ねむれますか
あいつ死ねよとか言ってませんか心の中で
ぼくは言ってますよええ、いってますとも毎日

深呼吸してますか
余裕はありますか
余裕はありますか
思い出せる楽しいことはありますか
人の顔色うかがってませんか
友の顔色うかがってませんか
あなたはほんとに自由ですか

酒呑まなきゃやってられないとかおもってませんか
耐えられますか
その言葉としうちといわれのない中傷に耐えられますか
矛盾に耐えられますか

逃げたいですか
休みたいですか
笑いたいですか
それとも泣きたいですか
あなたを褒めてくれる人はいますか

空は青くみえますか
星はたまには見えますか
抱きしめたいですか
暖かいとおもえますか
がんばろうと思えますか
かわいいとおもえますか
明日がんばるために今日は休もうと思えますか
無理してませんか
がんばりすぎていませんか

深呼吸しましょう

頭は痛くありませんか
肩は凝ってませんか
腰は痛くないですか
眼がつかれてませんか
おなか痛くないですか
心がつかれてませんか

深呼吸しましょうゆっくりと

完璧な人間なんていないんです

愛してますか
愛されてると思えますか

みんなのことは何一つわからないけど

きらいなやつもいっぱいいるけど

ぼくは愛してますよ。魅力的なあの人を愛してますよ
だれがなんと言おうと

それでもつらいときは、毒づいてからジョンレノン聞いてます

いくぜオレ様ロケットパンチ♪
夢はすてれま千円♪

臨として乾いた空気を深く吸い込んでさあゆくんだ

  • 2008/10/11(土) 00:09:15

飯食った。

前回の文章の続きです。

んでんで、漫画を担当さんに出した僕はまあ、これで終わったと思っていたわけです。

実は今月でアシスタントせいかつに区切りをつけて、(色々ありましたが)、とりあえず漫画中心の生活から、もう少し地に足のついた、多くの人々がそうであるような月給を頂く生活(無事見つかればの話ですが・・・)に切り替えて、そこから新しい漫画製作大成、もとい、体制を模索せねばと思っていたわけですが・・・。

「その一本の電話が、男の人生をかえた」(cv森本レオ)

 その日僕は、とある親しいマスターがやってるおいしいおいしいカレー屋さんにランチを頂きにいきました。元バンドマンであるそのマスターはギター道のみならず、印度でシタールをも体得した方で、淡々とした口調の中にセンスの光るトークをされるイカしたおじさんなんですが、この卑しきわたくしめが

「シタールってどんな音するんすか?」

などとうっかり言ってしまったために

ランチタイムの片づけの終わったところで、その演奏を聴かせて頂けるということになり、今まさに演奏を始めようかというときに、僕の携帯電話が鳴ったのでした。

担当Mからの電話ダ!!!!

「今回の賞に出すのは見送りましょう。で、原稿送り返すから、描き直して(命令形)」


と言われたあげくに、「月一で漫画一本仕上げろYOU!」とのたまう始末。

まあ、これはつまり「もっとがんばれYOU!」と言われていると、解釈していいところであるわけですな。多分。


 シタールの演奏はすばらしいものでした。カリー「河」のマスターTさんありがとうございました。

ぼくはあんなに荘厳でやさしい音色の楽器を知りません。

感動しました。

未知の音楽に触れる感動。きれいなきれいな音楽でした。

 しかしそのタイミングで電話くれてありがとう担当さん。おかげで手放しで楽しめなかったよシタール!


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 さて、描くか。となりました。

とりあえずの身の振り方は決まってません。アシにもどれるかどうかもわからないし、

ぼくは疲れている


でもヤマト八百万の神様のだれかがきっと救いを差し伸べてくれたのだとおもうとるわけですな。描きますよ。ええ描かせていただきますとも。

しかしぼくは疲れているわけだよ。

でも、描くよ。描くしかないよ。

「そのドアのむこうにしか道はない」

のでありました。

幸せである事よなあ。

しかしぼくはつかれているのだよワトソンくん。

東の空にまだ星が残る冬の朝

  • 2008/10/10(金) 18:54:29

みなさんこんばんわ

今ぼくは境界にいます

時間はあまりない

正気と狂気の境だ・・・・って、銃夢ファンの人すいませんイド。

神はいるかもしれないと思う今日このごろです。

というのも、九月末の新人賞に漫画を送ったからです。



担当さんのOKをもらわないままの作画開始でした。

色々ゴタゴタしたりハワイ行ったり怠けてみたり逃避したりしながら漫画を描きまして・・・

「自分のスモウをとるだけです」

を会い言葉に、日々一意専心のココロでやってました。

・・・ウソです、全然、一意ではありません。締め切り突きつけられてニッチもさっちもいかなくなり、工夫や演出的意匠を懲らす余裕もなくただただマシンとなり泣きながら漫画描いてました。

自分のスモウをとるというより、今やってるこれが自分のスモウなんだと己に言い聞かせ続けるしかなかったというのが正しいと言えましょう。

疲れましたね。正直。

神はしかし、抗いがたいその御手を、この卑しい私目に差し伸べてくださいました。

ちなみにぼくはクリスチャンではありません。
きっと差し伸べられた手もヤマト八百万の神のなんかだったと思っています。

あ、飯の時間です


続きは後ほど、webで。